かんの虫

かんの虫

ニンプ日記〜ハハ日記へ

2010年7月29日、男児出産しました。
はじめての育児に
めくるめく日々です。

 
Amebaでブログを始めよう!
ずざざーーーっと過ぎていく日々。
ツイログを育児日記代わりにしています。
http://twilog.org/charly938cue



2歳1か月。
めでたく俗にいうイヤイヤ期に突入いたしました。


うーん。
どうかな、
イヤイヤするけれど
反抗とも違うような…

着替え・トイレ(おむつ替え含む)・お風呂
これらは嫌がります。
ときどきは嫌がらないけど。

でも
お掃除・お料理・洗濯干し
どんどん手伝ってくれます。
ささいなこと、例えば
ゴミを拾ってゴミ箱へ とか、
荷物を運ぶ とか、
なんでも手伝いたがり。


確実に意志は強くなっています。
やりたいようにいかないと怒るし、
なかなかひかない。
しゃべってること、わたしが理解できてないと
何回も何回も繰り返すし。

未熟な母は
暑さもあってイライラもするし
(かなり頻繁に、だけど・暑さのせいにするけど)
なんで毎日怒ってばっかり…って
反省しない日はないです。

でも、
ムスコの真意
「正解」がわかったときの
そのうれしさったらないんです。
 
 SE:ボン
 児玉清:はい赤の方。
 わたし:(こたえ)
 児玉清:…その通り!
 赤応援団:パチパチパチパチ(拍手)


特に
ムスコが歌っている
なんかしらの歌を
推理し、見事正解を
一緒に歌いだしたときの彼のうれしそうな顔。
これはもう最高です。
「だろ?」ってニヤリとするわたし。
(1曲だけ♪しろい しろい とか謎のやつあるけど)

 
 ははおやポイント1 かくとく
 ははおやレベルが 1あがった
 やさしさが 1あがった(←これは願い)



毎日毎日
このうれしさが積み重なって
きずなみたいなものになっていくのが実感できて
ちょびっとずつですが
自信みたいなものになっています。



でもって、イヤイヤもあるけど同時に
不思議なくらい
とにかくやさしさが増してるんです。


わたしが鼻をブーーーーっとかむと
「ママ、だいじゅう?(大丈夫?)」
わたしがブーーーーっとおならをすると
「ママ、だいじゅう?(大丈夫?)」
わたしがボリボリ体をかくと
「ママ、かいい?だいじゅう?(大丈夫?)」

おともだちにおもちゃをとられても
泣きながら「いいよ」
おともだちにおもちゃをうばわれても
泣きながら「どうぞ」

見知らぬ年上男児に
「おにいちゃん かっこいい」
(相手はきづいていない)
すれ違う人みんなに
「こんにちは」(相手は気づいていない)
「ばいばい」(相手は気づいていない)
すれ違う犬みんなに
「わんわん かあいい」
(ふがふがふが)



母、泣けてきます。
(せつなさを多めに含む)


でもまじめに、
なんというか、
見返りを求めない
ほんとうに
自分の中から出てくる
やさしい感情 なんですよね。
それがとてもまぶしく感じられるのです。
純粋すぎて。

自分の子だということが
信じられないくらい
まぶしい。


そしてものすごくうれしくて
うれしくてうれしくてたまらないのです。




この子を
守ってあげなければと思います。
夜泣き1回目。
まだまだ2回/日くらいは泣いて起きます。



1歳4か月。

わたしは息子をあまり預けたことがなく
預けたとしても、夫や義母に1時間程度です。

慣れていないので無理もないのですが、
ちょっとした 親と離れて保育士さんと遊ぶ といった機会でも
わたしの姿が見えなくなると、大パニックで号泣
ふたたびわたしに会うまでは決して泣き止みません。
しゃっくり止まりません。

わたしがそばにいるときは、どんどん行きたいところに行くし
わたしにべったり、などということは全くないので
最初は余裕しゃくしゃくなんだけれども
ふと我に返るとうーわーっってなるみたいですね。

わたしも小さいとき
(覚えているから、きっともっとずっと大きくなるまで)
1秒たりとも母から離れられなかったので
気持ちはものすごくよくわかる!

でも、男の子だしな
母親としては
どんどんへっちゃらな顔して
この広い世界へ冒険に旅立てよ!
なんて思ってしまって
これは早めに一時保育などで鍛えるべきなのかなあ
とちらり考えたりしていました。



ところで、ここのところ
よく手を伸ばしてくるようになったのですよね。

「手をにぎって」要求。
だっこ じゃなく
手をにぎる と
安心して 泣き止むし、眠る。

それがなんだかすごい成長のように思ったのです。

とにかく不安で不安で
だっこに包まれる「保護」を求めていた赤ちゃんから

がんばってるんだけどまだ不安
ちょっと力を貸してみたいな「助け」を求める個人になったような

精神的な成長というか自立みたいなものに感じました。


腕の中から少しずつ少しずつ
手のひらから
指先から
巣立っていくような


息子はここ数日
やっと歩こうというやる気が出たようで、
出たら出たでもう急にぐいぐいなんですが
今はまだ手をつないで!と手を伸ばしてきて
手をつながないとふらふらなものの
その手を振り払うのもきっと時間の問題。なんですよね。

がんばれがんばれ
早くひとりで歩いてごらん。

そう願っていたのだけど、
今ももちろん応援しているのだけど、

そのうちすぐ
手なんかつないでくれなくなるんだよな
男の子なんだもん

そんなことはまだ気が早いのに
急にさみしくなったりして。


わはははははー


無理に鍛えることなんてないか
わたしといたい と思ってくれてる今を
かみしめて過ごそう
まだしばらくは いつも一緒 に決めました。


めんどうくさい母親でごめんよ、
子離れできるのかなあ。




と思いつつも、
わたしが離れたのを察知して泣いて起きる息子に
ひとりで寝れるよ寝なさいよ
と自立を要求する矛盾。


ごめんよ涙。
ごめんよ息子。
今日も長いですよ。

1歳3か月。

今日はヤンネであった「しあわせ音空間」という
親子で楽しめるライブに行ってきました。

畳のお部屋でこどもたちは自由に動き回り
やわらかいこえと音がゆったりと流れ
おいしい手作りのお菓子をいただき
お茶をすすり
窓からは日差しと風が

ああなんて気持ちのよい。
ヤンネもこの会も今日がはじめてだったのだけれど
この建物の
この雰囲気で
このひとたちが
このやわらかさで
全部が絶妙なバランスですごくぴったりしている
ゆるくて力が抜けているんだけれどぴったりしている
ほんとうに心地のよい会でした。

うちの坊はここぞとばかり
のびのびと動き回っておりました というより
部屋のはじに並べてあるお客さんの靴に突進
つかんでは投げ、つかんでは投げ
それを必死に阻止しつつも
ああそうか、とひとつわかったことがあったので
書き留めておこう。

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ここのところ、
自分の興味の向くまま
いろいろな場所に飛び込んで
たくさんのひとたちから多くの刺激をもらって
すごく楽しいなあと実感していました。

ところが。
これ自分のおかしなところなのですが、
ちょっと刺激をもらいすぎてビリビリしてしまってたようです。

題して「人のフリみてビリビリビリ」

まじめに
志を高くもっている人に対しての劣等感。
「ほんとうは」もっとこうしてあげる「べき」なんじゃないか

もちろん
うちはこうしてるよ とか
こんなおもしろいことがあるよ とか
わたしはこう考える とか
みんな興味深いことを教えてくれているだけで
誰もわたしに
もっとこうしなよ、かわいそうじゃんとか
ダメを出したりしてるわけでもないのに


息子を追い掛け回して
靴を投げるのを必死でやめさせながら
ああ、こういうときは
危なくない限りはすきにやらせる「べき」なのに
なんて思った瞬間、
ばかげてる!
って途端に冷めたのです。しーん。

すきにやらせてやる「べき」
これ、ぜんぜん自分の言葉じゃなかった。
聞いて、咀嚼もせず、体内を通過してるだけ。

そう思うとなんだか笑えてきて
捕まえたままゴロリころがって
うたごえにゆるり浸かっておりました。


言うまでもなく
すきにやらせる「べき」ということが
正しいのか・間違っているのか ということではないです。

どうすべきなのがほんとうに一番よいのか より
どうすべきなのがほんとうに自分たちによいのか であり
それを考えて選んだのかどうか ということ


ごはんだったり遊びだったり
いろんな考え方がある。

できてないと苦しむ必要はなくて
どんどん教えてもらえばいいんだ
そして
いいとこどりすればいい。


どう暮らしたいのか がおいてけぼりになっていました。


そしてわかりました、
わたしはゆるりと、ふざけながら、たのしく暮らしたい。
考えながら、たのしんで暮らそう。

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それにしても、
いろんなひとに出会うということは
ほんとうにたのしいことです。

しかも知っているひとから知っているひとの話が聞けたりと
意図せずつながったりしちゃうのとか
ほんと うきゃーっとなります。
(長野の規模ならではかも)

人見知りながら、ひととの出会いを
どんどんたのしめるようになったのも
動き回ってくれる息子のおかげです。
子の存在って、すごい。

1歳1か月。

あと1週間あまりで1歳2か月というところで
なんとか無事?卒乳(断乳かなあ)いたしました。
どの時点で卒乳とみなすのかわからないけれど、
10日くらいは飲んでないので、おそらくこれで終了と思われます。

 ◆

いろいろな方の卒乳エピソードをうかがうと
名残惜しさに涙するママさんや
欲しいけどがまんしてがんばる子のけなげさなど
ステキなお話が多いのですが
うちはそんなこともなく、断乳に近いのかも。
男女っぽく言えば
「わたしから自然消滅仕組んだ」
みたいな感じです。

 ◆

授乳回数がほぼ1日1~2回に減ってきていたものの、
夜泣きが増え、早朝にはどうにも寝ないし
おっぱいをくわえてもいつまでも離さないし泣く
(たぶんでなくなってきてたから)
ようになってきたので、
これはもう終わった方がいいように思い、決断しました。

○日前予告もせず、
「もう全部飲んじゃったから、なくなっちゃった」と
かわりに牛乳か豆乳、またはひたすら抱っこ、
という、とても荒っぽい方法。

パパ抱っこではなぜか
泣きがエスカレートするようになってしまったので
(これはまだ今も続いてますが)
何度も泣いて起きるむすこに
本人はもちろんだけど
何もできないパパはつらかったろうと思います。

 ◆

幸いなんとか完母で続けることができた母乳育児、
ミルクの経験がないから比較はできないけれど
つらいと思うことが多くありました。

思えば、最初は意地になって完母にこだわって
肩に力が入りまくってました
特にうまれて1か月は、泣き止まないし寝ないし
頻回授乳でヘトヘト
母乳不足感に負けそうにもなったし
叔母の「おっぱい出てよかったね」の言葉に
「出すために必死で努力してるんです」とイラついたりもしました。

また、むすこがアトピー出てつらそうなときは、
わたしの食生活により母乳の質が悪くなったことが原因ならば
無理に続ける意味があるのだろうかと思ったりもしました。

 ◆

だけどふと、授乳している自分の姿に
「ああそうか、わたしは哺乳類だったんだ」と
あたりまえなんだけれど驚いたりもして、変だけど
自然界の一員のような気がしてちょっとうれしくもあったのです。
そして、そう感じることができたのは
叔母が言うように「出てよかった」という状況に恵まれたおかげであり
やはり幸運であったからに違いないのです。

 ◆

卒乳のタイミングについては
いろんな考え方があると思いますが、
今過ぎてみて思えば、
無理やりだったのかもしれないけれど
授乳が減って、おっぱいがでなくなって、おしまい
っていうのは
動物としては自然な流れであるし
うちはこれでよかったのかなあと思います。

「卒業」てよりは「忘れる」だったけれど、
「忘れる」のうちにおえるというのはひとつの手だと思います。

おっぱい が栄養より精神的安定の意味合いが大きくなるにつれ
きっとやめるのがつらくなります。
栄養としての役割がおわった時は、ひとつのタイミング。
それを越してしまったら、
精神的安定の役割がおわる次のタイミングまで続けないと
不自然なのかもしれません。

うちは依存が呪縛となってしまいそうだったので、
親子ともどもある意味解放されたようにも感じます。
(たとえはよくないかもしれないけど、ちょっと喫煙に似てるかも)

 ◆

「はじめて」つづきの毎日のなかでの数少ない「さいご」
感動的ではなかったけれど、
やっぱり感慨深いものです。
1歳といえば
あんよできる?
おしゃべりできる?
「何歳ですか」「(ひとさしゆび)」できる?
「○○くーん」「はーい」できる?

できるおともだちもたくさんいるけれど
うちのボウイはまだまだできません。

   ◆

1歳1ヶ月になりました。
ハイハイがだいぶスピードアップしました!
つかまりスクワットができるようになりました!
…みんなよりちょっと遅いみたいですが汗
1歳になるともう赤ちゃん卒業だな!と思っていたのだけれど、
まだまだ赤ちゃんでした。笑

   ◆

「~ヶ月くらいになると
 ~ができるようになる」

ひらきなおりかもしれないけれど、
この言葉につい悩んでしまうのは
なかなかどうしてしょうがないですよね。
個人差があるし気にすることはないって
自分はこんなこと悩むはずはないと思っていたけど、
実際、子の成長に対峙してみると
まったく気にならないと言えば
やっぱり大嘘。

気にしてはいけないとは思うし、
無意味で無用だと理解はしているけれど
ふとした瞬間、この気持ちにおそわれることがあります。

そして、これからもずっとその
自分の弱さを感じ続けるのかもしれません。

   ◆

でもそのたびに思い出そうと思うのは、
どの子の親も、きっとそうなんじゃないか
ということです。

あんよがはやくできたけど、
ごはんをなかなか食べてくれなかったり

ごはんをたくさん食べてくれるけど
足りないと泣き叫んでおさまりつかなかったり

どのおともだちのお母さんもみんな悩んでいます。


いや、うまく自分をコントロールできて
悩んでもしょうがない と
子育てをとことん楽しむことができているお母さんも
なかにはいるのかもしれないけれど

でもまあ悩む悩まないは別として
とにかく

みんなそれぞれ
上手なことと
まだ上手じゃないことがある ということ。

   ◆

また同時に、そのたびに
わが子のすごいところを指折り数えようと思うのです。

おともだちと比べてしまうのは
きっと、わが子のことをちゃんと見ていないとき。
視界の端にしかわが子をいれてなくて
焦点がちゃんとあっていないとき。

そんなときは
自分の中のオヤバカ成分を500%に増量して
目をハートマークにしてやれば
きっと
そんな弱くて湿った気持ちを
ふきとばせるような気がします。

   ◆

なぜ今日そんなことを思ったかというと

うちの子は今日
ハーモニカをふけたんです!!
今までは、ふいてみせて、
口にちゃんとした向きであててあげて
はじめてふけたのですが、
今日は、自分ひとりで
大きな音でちゃんとふけたんです!
す・ご・い!!!

子どもって
ほんとうに驚くようなことが
できてしまうことがあるんですね。
可能性をたくさん持っているんですね。


ああきもちがよい!
オヤバカばんざい!


ついでにブルースハープらしく
右手動かしてファンファンと
ビブラートかけるみたいなのも
教えておきました。



「うちの子はね、まだ○○できなくて~」
とか、すぐ言ってしまうんですが
こんな社交辞令(?)はそもそもいらないのかも。


あと1週間で、1歳と1か月になります。

順調に、すくすく育ってくれていること
当たり前のようだけれど
ほんとうにうれしいです。
(本人が起きている間は
そんなこと実感してる余裕もなく
相変わらずいっぱいいっぱいなんですが)


やっとハイハイもスピードアップし
スクワットもし始めたというところなのですが
毎日進化してて
ほんとすごい努力してるんだろうなあと
伸び率ハンパないなあと思っています。

早い子は意味を持った言葉を話し始めたりしているようですが
わが子はまだ蓄え中の様子です。

言いたいことはたくさんあるけれど
言えないでもどかしい。
それって、つらいんだろうなあ!
お茶飲みたいのに、食わせたりするしね、母。

伝えたい気持ちがあふれて
イカみたいな目玉からこぼれてきそうです。

脳内ではたくさん電気が走って
必死にインプットしているんですよね。


「黙ってるなあ」と思ってきたけど
「あーあー」言い出して
もうすぐしゃべり出すかと思うと
楽しみでしょうがないです。


そのうち、「うるさいー!」と思う前に
今の気持ちを記録しておかないと。
1歳をまえに。

早いもので
(って毎回言っている気がするけれど)
今月おわりのほうで
1歳になってしまいます。

すごいなあ。

育児の楽しさって?
そう問われて考えたこと。
(宿題にしてました)


1歳の誕生日を迎える前に
この1年間の
いわゆる赤ちゃん期間について
たったまだ1年のみの育児期間だけれど

その間でわかったこと
それは
子は育つ
ということです。



ことあるごとに悩んできました。

ねんねのこと
おっぱいのこと
泣きのこと
おむつのこと
けんこうのこと
ごはんのこと

そのたびに検索検索で
必ず書いてあるのが
「時期がくればおさまる」
「いっときのことです」
なんでかってくらいそう書いてある。


そんな答え、求めてないのに。
今どうしたらいいのかを知りたいのに。

いつもそう思いました。
だけど、今はとても
納得がいくというか同感なのです。

じたばたしたって
くよくよしたって
子が育つ過程の
この流れの中にいたんだ、
止めることも
操作することもできない
なんて身の程知らずだったんだろう

そう思うようになりました。


「お母さんなんだから」

その義務感というか責任感というか
その言葉を胸に
つらいと思いながら
それでもがんばるわわたし
あるときは
負けちゃダメよわたし

いったい何との勝負なんだか

ひどく恥ずかしく思い出しています。


「お母さん」は
「家族」なんだ
ただそれだけ。


「なんだから」なんてことはなくて

「お母さんだよ」
そう言って
この子のそばにいよう。
そうしよう。


だけど
これからだって
あとから思えば
恥ずかしいことの連続かもしれないけど
必死なのは悪くないです。
思い出すと笑っちゃうから。

それに
この子も必死で
はっているんだもの。
わたしも必死で
応援しようと思います。


育児の楽しさははじまったばかり
これからやっと
わかってくるところなのかもしれません。

早いもので
うちのぼくちんは
9ヶ月を迎えました。

涙。
振り返ると必死の日々。
大きくなったなあ
お兄さんになったねえ

たった9ヶ月なのに、
赤ちゃんの成長が
あまりに劇的であることに
驚き、喜び、
そして今も変わらず
毎日必死なのでした。


育児の楽しさを語って
と友人に言われたのですが、
それはちょっと宿題にして

今日は、
わたしの
今一番の疑問を。

よく
添い寝でしか寝ない
って聞くのですが、

添い寝でなど寝ないです

いやはや。

添い寝でどうやったら寝るのか
教えてください。

添い寝じゃ寝ない話、
検索しても
ぜんぜんみつけられないのです、
不思議でなりません。


成長とともに
性質は変わってきたものの
わたしの悩みトップの座を
ゆずらないのは
ねんね問題。
これは、わたしが
成長してないということかも
がーん!
大人とみればかみついてやる!

そんな暴れん坊のティーンエイジャーにはほど遠い
0歳6ヶ月のちびっこなんですが

そうとうかみついてきます。


特にお昼寝のとき。

今のわたしの寝かせ方は、
眠くなったらベッドに横にならせて
手をにぎってひたすらそばにおります。

寝る前は
そりゃもうぐずって泣き叫ぶんですが
本人なりに落ち着こうとしている手段
(ように見えます)
みたいで、
しばらくすると、すっと入眠。

・・・がほとんどだけど、
ときどき失敗して
泣きがエスカレートし、目が覚め
眠り損ねることもあり。


その「落ち着こう」手段に
最近かみつきが加わりました。


痛いってば。
ほんとうに。

ほんとうに。


ただいま、下の歯が2本生えているだけなんですが
上の歯でも生えてくるのかな、かゆいのかな、
でも痛いのよ、容赦ないんだもの。
痛いから逃げるんですけれど、
そうすると泣くんだもの。

だからなんとか角度を調節して
うまいこと痛みが少ない向きで
噛んでいただいております。

譲歩。

体を揺らして噛み付いてくる様は
鯉のようでもあります。
ビチビチッ!

ああかわいい。

$かんの虫-かみきず
かまれるとこうなりますがね!
わたしの指も時間の問題です。
当たり前だけど、
赤ちゃんとは
初めてできることの連続なので、
毎日が記念日といった感じなのですが、

今日、1月22日は便座記念日です。

おまるがかなり順調にいって、
とりあえず座らせれば
何らかをするように
ちょっとであっても出してくれて
もう条件反射のようになってきました。

これはいいぞ!とばかりに
おまるの後処理をしながら

そうだ トイレに行こう

今朝からはじめてみました。

朝起きて
ひと遊びして
乳のんで

通うこと3回目。


やったー!小!
いちげんさんお断りだったけど、
3回通えば、もう常連。
初心者ならではの多少のOBはあったけど、
なんとか成功いたしました。

小さいからって
できるわけないって
決めつけちゃいけないね。
おむつなし育児って
まさにその典型。


赤ちゃんをみくびるな!


はじめてって
なんてうれしいのだろうか。