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かんの虫

ニンプ日記〜ハハ日記へ

2010年7月29日、男児出産しました。
はじめての育児に
めくるめく日々です。

ちょっと長文です。

ニンプ健診時、
「わたしはこういう風に産みたい!」
っていうバースプランを
提出しました。

なるべく自然に
できるだけ自力で
促進剤や会陰切開、吸引などは
なるべく行わずに
可能であればフリースタイルで
赤ちゃんに語りかけながら

そう
ソフロロジーでは
陣痛は赤ちゃんに会うための
うれしい痛み


そのつもりだったのに!!

いざ陣痛が始まると、
恥ずかしいほど弱気で
とても「うれしい痛み」だなんて
考えている余裕はなく
情けないぐらい
1回1回を逃すのに必死で。

やっと分娩室に入るころには
ヘトヘトになってしまっていました。

陣痛の合間には
「体力を温存するため、
 リラックスして寝ましょう!」
と、助産師さんに声をかけられていたのですが
言われるまでもなく眠ってしまい、
毎回夢を見て寝言を言っていたようです。

先生から、
体力が消耗して陣痛が遠のいてきてしまっているので
陣痛促進剤を使いましょう
との丁寧な説明を受けているときも
顔はそちらを向いているけど
目は半開き いや白目
眠ってしまっていました。

とにかく、無事に産まれてほしい!
もうバースプランにこだわる気はもちろんなく、
むしろ情けないけれど
もっと痛くなるということが怖くて不安でした。

分娩室、となりの分娩台の先客が
「うわー、もうお腹切ってー!」
と何度も絶叫していました。
気持ちわかる。
帝王切開がけっして楽なものじゃないことは
承知しておりますが、
もう、切って出してもらわない限り
産まれる気がしないのです。
永久にこの時間が続いてしまいそうな
産道って、何キロあるんだってくらい
長い道のりに感じて、めげそうになる。

でも、わたしの頭の上には
旦那さんがずっと立ち会ってくれていました。


そして、わたしのお腹の中では
かよわい小さな人が
つらかっただろうに
生まれようとずっとがんばってくれていました。

あと少し

わたしのまわりには
先生、助産師さん、
入院からずっとついていてくれた実習中の学生さん
そして旦那さん
ぐるりと味方が大勢いて
みんなが力を貸してくれました。

そして
ようやく

頭が出て
肩が出て
足が出て

頭さえ出れば、
あとはすこんと産まれるのかと思ったけど
足が出るまで痛かった

ワールドカップ観戦中
おなかの中から蹴り続けていた足は
ちいさいけど大きかった!


無事に生まれてくれました。
バースプランは
わたしの場合は絵空事になってしまったけれど
なによりも無事で生まれてくれたこと
無事に産ませてくれたことが
本当にありがたかったです。


カンガルーケアで
おなかの上におとなしくのっかっていたこの子は
まるでピーナッツみたいな
かわいい顔でした。



もうすでに2ヶ月以上たった今思い起こすと、
痛かった
という言葉としては覚えているものの
どんな痛さだったのかを
早くも忘れてしまっているから不思議です。

眠りながらの出産だったせいか
日をおうごとに、まるで夢だったかのように感じます。
現実のできごととして確かに覚えていたくて
慌てて記録した次第です。


よく
「お産はフルマラソンくらいの体力を使う」
というたとえを聞きますが、
精神的にも、
なんだかフルマラソンと共通する部分がありました。

はじめて走ったフルマラソンは、
半分くらいでひざが痛くなって歩きはじめ
とてもゴールできないと思ったけれど
旦那さんがずっととなりにいてくれて
いっしょにゴールできました。

いつも、ずっとそうでした。

そしてこれからは
もうひとり
このちいさな男性までも
となりにいてくれるんだなと思うと
この先の人生、
とても心強く感じるのです。



産道って何キロあるんだろうって書きましたが、
もしかしたらわたしの場合
42.195キロだったのかもしれません。