1歳1か月。
あと1週間あまりで1歳2か月というところで
なんとか無事?卒乳(断乳かなあ)いたしました。
どの時点で卒乳とみなすのかわからないけれど、
10日くらいは飲んでないので、おそらくこれで終了と思われます。
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いろいろな方の卒乳エピソードをうかがうと
名残惜しさに涙するママさんや
欲しいけどがまんしてがんばる子のけなげさなど
ステキなお話が多いのですが
うちはそんなこともなく、断乳に近いのかも。
男女っぽく言えば
「わたしから自然消滅仕組んだ」
みたいな感じです。
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授乳回数がほぼ1日1~2回に減ってきていたものの、
夜泣きが増え、早朝にはどうにも寝ないし
おっぱいをくわえてもいつまでも離さないし泣く
(たぶんでなくなってきてたから)
ようになってきたので、
これはもう終わった方がいいように思い、決断しました。
○日前予告もせず、
「もう全部飲んじゃったから、なくなっちゃった」と
かわりに牛乳か豆乳、またはひたすら抱っこ、
という、とても荒っぽい方法。
パパ抱っこではなぜか
泣きがエスカレートするようになってしまったので
(これはまだ今も続いてますが)
何度も泣いて起きるむすこに
本人はもちろんだけど
何もできないパパはつらかったろうと思います。
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幸いなんとか完母で続けることができた母乳育児、
ミルクの経験がないから比較はできないけれど
つらいと思うことが多くありました。
思えば、最初は意地になって完母にこだわって
肩に力が入りまくってました
特にうまれて1か月は、泣き止まないし寝ないし
頻回授乳でヘトヘト
母乳不足感に負けそうにもなったし
叔母の「おっぱい出てよかったね」の言葉に
「出すために必死で努力してるんです」とイラついたりもしました。
また、むすこがアトピー出てつらそうなときは、
わたしの食生活により母乳の質が悪くなったことが原因ならば
無理に続ける意味があるのだろうかと思ったりもしました。
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だけどふと、授乳している自分の姿に
「ああそうか、わたしは哺乳類だったんだ」と
あたりまえなんだけれど驚いたりもして、変だけど
自然界の一員のような気がしてちょっとうれしくもあったのです。
そして、そう感じることができたのは
叔母が言うように「出てよかった」という状況に恵まれたおかげであり
やはり幸運であったからに違いないのです。
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卒乳のタイミングについては
いろんな考え方があると思いますが、
今過ぎてみて思えば、
無理やりだったのかもしれないけれど
授乳が減って、おっぱいがでなくなって、おしまい
っていうのは
動物としては自然な流れであるし
うちはこれでよかったのかなあと思います。
「卒業」てよりは「忘れる」だったけれど、
「忘れる」のうちにおえるというのはひとつの手だと思います。
おっぱい が栄養より精神的安定の意味合いが大きくなるにつれ
きっとやめるのがつらくなります。
栄養としての役割がおわった時は、ひとつのタイミング。
それを越してしまったら、
精神的安定の役割がおわる次のタイミングまで続けないと
不自然なのかもしれません。
うちは依存が呪縛となってしまいそうだったので、
親子ともどもある意味解放されたようにも感じます。
(たとえはよくないかもしれないけど、ちょっと喫煙に似てるかも)
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「はじめて」つづきの毎日のなかでの数少ない「さいご」
感動的ではなかったけれど、
やっぱり感慨深いものです。